紅葉を愛(め)でるにはやや早い、初秋の京都。けれど、日本庭園を味わうにはもっとも適した季節といえるかもしれません。満開の桜や深紅のもみじはパッと目を引きますが、庭園全体の景色や構成は「背景」になってしまう。少しずつ色づきはじめる木々を眺めながら庭園の輪郭をなぞるようにじっくりと歩けば、ちりばめられたさまざまなメッセージに気づきます。
岡崎のランドマーク「平安神宮」の「神苑」は、紅枝垂(しだ)れ桜の名所。桜の雨が降りしきるような春の庭は、それはそれは美しいのですが、桜のない季節に訪れると庭園自体の構成美が際立ちます。
庭園を案内するのは、作庭の名門「御庭植治」の次期12代目・小川勝章さん。「平安神宮 神苑」を手がけた7代目・小川治兵衛の子孫にあたります。
「(西神苑の顔と呼ぶべき場所に立って)ここにも、7代目・小川治兵衛がそっと残したヒントがございます。色々ある石の中でも『こちらへどうぞ』と手招きしているような……。(ここから)あたりを見回していただきますと、お庭の見どころがちょうど目に入ってまいります」(小川さん)
池のほとりに配されたその石の上に立つと、正面に松の木が、そして日本庭園にとって中心的存在の三尊石(さんぞんせき)が、眺める人の視線の先に現れます。
「三尊石のような見どころを設けるのも作庭家の大切な仕事なんです。が、(もう一つの大切な仕事は)先人が『どうぞこちらに』とずーっとこの石を通じて語りかけてくるような、そんな存在(を作ること)なんです」(小川さん)
庭園には、先人が残したこのようなメッセージが数多くあると小川さんは語ります。それは、ぼんやり眺めたり、華やかな存在に気を取られていたりしては見過ごしてしまうような、小さな小さな庭のささやき。けれど、足元に、遠くに、石や東屋や灯籠(とうろう)に……と、すみずみまで目を配りながら眺めれば、必ず見つけられるヒントでもあるのです。
心を開き、目の前の景色に込められたメッセージを受け取ろうとすること。それは、見えるものから見えないものを想像する力です。京都には、想像の目を開かせるスイッチがいくつもある。そこには、作り手と受け取り手との信頼関係があります。
地元の常連客や茶人からもひいきにされる、1882(明治15)年に創業した「塩芳軒(しおよしけん)」の上生菓子。京菓子の基本である「きんとん」は、ほとんど同じ形ながら、色とニュアンスの微妙な変化で季節を表現します。左右できんとんの表情が異なるこちらの生菓子、銘は「雲錦(うんきん)」。黄と橙(だいだい)で表現された右半分は錦のもみじを、糸のように細い淡いピンク色のきんとんで表現された左半分は、なんと桜を意味しているといいます。
「昔から、桜ともみじを一緒に描いた図案というものが日本にはありまして、桜を雲に例えて、錦をもみじで表した。そういう図案なんです」
そう語る、「塩芳軒」5代目当主・高家啓太さん。桜ともみじが一つの和菓子に同時に居合わせることの理由は、日本古来の芸術文化に通じていなければ読み解けません。それは、文化的背景を知る人への信頼のメッセージ。そして、和菓子の奥深さの入り口に立つ人にとっては、知的好奇心をくすぐるヒントでもあるのです。
もみじの意匠は、秋の深まりとともにわずかに表情を変え、そのささやかな変化で季節のうつろいを伝えます。そこにどんな情緒を見いだし、どんな物語を映すか。そこからは作り手の手を離れ、もてなす人の感性で自由に表現してよいと高家さんは考えます。
「あまり大きくデコレーションするよりも、少しの変化で季節の進み具合を感じていただき、お買い求めいただいた方が、ご自身で思うようなお名前(菓銘)を付けていただいたらいいのかなと思います」(高家さん)
庭園の小径(こみち)にそっと配された石、秋色の和菓子にほのかに降りる霜の色。それらはどれも控えめで、ともすれば見過ごしてしまいそうなほどささやかです。けれどそこには、作り手の確かなメッセージが込められている。それは、奥ゆかしさを美学とする京都文化の性格でしょうか? 私にはそれ以上に、作り手が受け手、ひいては後世の人々の感性と知性を、そして豊かな想像力を、信じていた証しのように思えるのです。
■ 京都画報 庭園を愉しむ
BS11:11/10(水)夜8時~
TOKYO MX:11/14(日)午前11時~
※11/14(日)正午からBS11オンデマンドにて2週間限定無料で視聴可能です。
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