京都でうつわを探す旅。それが胸をときめかせるのには、いくつか理由があります。まず一つは、清水焼・京焼といった、伝統工芸としてのうつわ文化が成熟していること。次に、アンティークショップや古道具店、骨董(こっとう)市など、古きよきうつわに出会う入り口がたくさんあること。そして、茶の湯や懐石料理にはじまり気鋭のシェフのレストランまで、さまざまな茶人や料理人がひしめく中で研鑽(けんさん)された、楽しみ方の豊富さがあげられます。
京都のやきものといえば清水焼・京焼ですが、実は作風や土に決定的な特徴があるわけではありません。さまざまな土地の土を使い、釉薬(ゆうやく)や絵付け、製法もさまざま。さらに、うつわを使う茶人や料理人のリクエストに応える形で、表現はますます多様化していきました。そしてその進化は、現在も進行形です。
清水焼・京焼が発展した五条坂では、複数の陶工が共同で窯を使い、焼き上げるという生産体制をとっていました。今も残る五条坂京焼登り窯を訪ねて、清水焼の名工で人間国宝にもなった陶芸家・近藤悠三の孫で、自身も陶芸家として活躍する近藤高弘さんはこう話します。
「ここに来れば(他の作家の)焼く前と焼いた後が全部見られるわけです。情報交換的な、サロン的な意味合いがあった。これが京焼のレベルとか多様性を生んだんだと思うんです」(近藤さん)
陶工同士が刺激を受けて高め合い、茶人や料理人がそれを使い、もてなされた客がそのうつわ使いに感銘を受ける……。京都のうつわ文化はこうして、切磋琢磨(せっさたくま)しながら成熟してきたというわけです。
百花繚乱(ひゃっかりょうらん)のうつわの中で、審美眼を養うにはどうしたらよいのでしょう。北大路魯山人の作品をはじめ、選(よ)りすぐりの古美術を扱う「梶古美術」7代目・梶高明さんは、こういいます。
「いろんなもんを外して、本当に好きなものを見るということです。『このお店ならおいしいに違いない』ということ(先入観)を外してしまう。店の格にだまされないとか、そんなふうなんと同じように、自分の目を信じていくことが大事です」
そうは言っても、先入観や思い込みを外すことは言葉以上に難しいもの。古美術の鑑賞の仕方の例として、魯山人の五客組のうつわを前に、梶さんは一つだけ仕上がりの異なる皿があることを指摘しました。「一つだけ上がりが悪い」と指摘されることもあるそうですが、実はそれは魯山人の意図だと話します。
「全部がそうではないんですが、魯山人はこうして一客だけ毛色の違うもんを混ぜてることがある。『陰陽を整える』といって、世の中たくさんの人が集まると背の高い人低い人、太った人痩せている人、色んな人がいるでしょう。違うものがより集まることによって整うということなんです。みにくいアヒルの子っていうのはいるのが当たり前、という考え方。それが魯山人らしさなんです」(梶さん)
全てが同じ見た目、同じ品質であるべきという思い込み。それも、私たちが「美しいもの」を探すときに邪魔をする、先入観の一つです。「おや?」と感じた小さな引っ掛かりを、先入観でジャッジせず、素直に理由をたずねてみる。すると、思わぬ物語や作家の人間性が立ち現れる。古美術やうつわだけでなく、あらゆる物事にも言えることかもしれません。
「(古美術の世界は)わがまま勝手な美の世界なんです。人がなんと言おうと『これがいいでしょ』というのを通していく。そんなもんかもしれません」と梶さんは話します。
うつわ好きにとって京都は、宝箱のような街です。何百年も前のうつわから現代の陶芸家の作品、それを使った料理やしつらえまで、一つの街で見られるのですから。だからこそ、無意識のうちに作家の知名度や希少性で価値を判断していないか問いながら、心から美しいと思う一品に出会いたいものです。宝物はいつも、 “もの”ではなく、それを美しいと思う自分自身の中にあります。
【次回放送情報】
■京都画報 第4回「うつわの彩り」
2022年1月12日(水)夜8時~
番組公式ホームページはこちら。
京都は清水焼に代表される焼き物“京焼”が発展した土地。茶の湯や懐石料理など、うつわと親しむ文化が育った土地柄、京都人は目利きぞろい。普段使いできる新作から、目がくらむようなアンティークの逸品まで様々な楽しみ方ができる うつわ。京都で花開いた豊かなうつわ文化の世界へご案内します。
放送後、BS11オンデマンドにて1月12日よる9時~2週間限定で見逃し配信いたします。