盆地の京都ですが、今年はひときわ暑い気がします。先月までは手拭いを被りながら屋外での花の写生も頑張っていたのですが、最近は無理をせずに涼しい画室にて制作に励む毎日です。
さて先日、京都 祇園甲部、花街にあるお店に昼間からお食事にいく、ご褒美のような素敵な機会がありました。芸舞妓さんの置屋やお茶屋さんが軒を連ね、特に、花見小路と名のつく石畳の道などは風情があり、観光客の方にも人気のエリアになっているようです。日常から離れた華やかなイメージの花街ですが、路地裏で出会う景色には、ここに生きる人々の生活の音や彩りも入り混じります。柄杓で水を打つ人、バタバタと束子で水仕事をする人、構わずお昼寝するわんこ。
偶然にもこの日は、八朔。毎年芸舞妓さんが、日頃お世話になっている方々にご挨拶回りをされるのが習わしで、京都の花街の夏の風物詩となっています。八朔といえば重厚な黒紋付のイメージがあったのですが、この日、出会うのは明るい色のお着物。不思議に思っていたのですが、今年は連日の猛暑やマスク着用を踏まえ、熱中症対策で正装の夏着物と袋帯にされたと後で知りました。
黒紋付も綺麗ですが、私が八朔に出会った夏の色、薄紫や水の色、月見草の花のようなやわらかな黄色など、軽やかな色をまとった芸舞妓さんの可憐さは、まるで本当に祇園の路地に花が咲いているかのように見えました。
お店につくと、美しい女将さんが団扇でぱたぱたと汗ばんだ首元をあおいでくださいました。芸舞妓さんが夏のご挨拶に使われる、名入りのものです。それにしても、エアコンや扇風機がなかった時代、帯にさすことができる扇子は夏の必需品だったことでしょう。
祇園町ではありませんが、京都で私の大好きなお店のひとつ、京扇子の老舗 宮脇賣扇庵さんがいつだったか、扇子のことを「風のつぼみ」と表現され、思わずその言葉の響きに深く感じることがありました。
末広がりで縁起物でもある扇子、その役割が決して涼むためだけのものではないと知ったのは、恥ずかしながら随分大人になってから。お茶席では扇子で結界を作り、ご祝儀などをお渡しする際には開いた扇子の上に封をのせます。芸舞妓さんが花なら、町衆の生活の中にある扇子もまた花のよう。涼を呼ぶ風のつぼみであり、開いた時にぱっと現れる四季の絵柄や扇骨などの匠の技は、花のつぼみが私たちに見せてくれる感激に似ています。