日本で最も長いホームが京都駅にあることはご存知でしょうか。
全長558m。長く私の実家があった滋賀県から京都市立芸術大学へ、毎日通った草津線(琵琶湖線経由)に繋がる列車もここから出発していたため、私にとっては思い出がつまった「0番」ホームです。ただし、単独のホームではなく、途中に切り替えがあり、0番乗り場からしばらく歩くと、30~34番線があります。
さて、先だって一年に一度開催している個展が無事に京都にて閉幕し、仲良しのお姉さんが列車の旅に誘ってくださいました。
京都駅の31番線から発車する特急列車に乗って京都の南北を縦断し、終着は兵庫県の日本海のあたり。まずは嵯峨野線を走るのですが、車窓から見ることができる保津峡の景色がダイナミックで素晴らしいのです。徐々にその雄大な水の流れも穏やかになり、各駅停車の小さな列車に乗り換えると、窓の外にたっぷりと広がる保津川の景色は、少しうとうとするうちに海の風景に変わっていました。
向かうは大乗寺。江戸時代の京都画壇を代表する画家・円山応挙ゆかりの寺で、応挙寺とも呼ばれています。
円山応挙は水にまつわる作品をたくさん描いています。とりわけ、1975年に描かれた絶筆とされる「保津川図屏風」は亡くなった年の作品とは思えない力強い名品として有名です。しかも、1793年に応挙は病にかかり、その後、歩行の自由を欠き視力も衰えていたと伝えられています。きっと応挙は画室で心穏やかに瞼を閉じれば、水の迫力や豊かな流れをまるでその場に身を置いているかのように、ありありと思い浮かべることができたのでしょう。
到着した大乗寺。ここには、円山応挙とその門弟による165面の障壁画があり、それぞれに素晴らしいのですが、応挙の筆による「山水の間」に入った瞬間、私は息をのみました。
やや内側に描かれた瀑布を起点とし、水は川のうねりとなり、最後に静かな海の水面となる立体的な風景を現したこの部屋の空気感が、京都の地から大乗寺に向かうまでの車窓から見た風景とぴったり一致したように感じたからです。私は一気に応挙の目となり、肉体となって、その絵の水の流れの中に身を置いているかのような気持ちになり、感動で胸がいっぱいになっていました。
ところで、15歳頃に応挙が京の都に出るまで暮らしていた丹波国穴太村(現在の京都府亀岡市)は、保津川も近くにあるところ。また、この「京の花便り」を書くにあたって初めて気付き驚いたのですが、応挙寺を訪れた6月12日は、くしくも応挙の新暦におけるお誕生日。この偶然に驚きつつ、改めて応挙や応挙を支えた人々の功績に感謝と畏敬の念を抱いたのでした。