大規模な空襲を免れたことから、神社仏閣をはじめ、明治から昭和にかけての建築物が今も残り、歴史的な街並みを維持する京都。100年以上前に建てられた個人住宅も多く、街の景観に趣(おもむき)を添えています。そこで今回は、常盤貴子さんが京都工芸繊維大学名誉教授の中川理(なかがわ おさむ)さんとともに、京都で大切に守り継がれている住宅建築の名作を巡ります。
京都市の西、大阪府と境を接する大山崎町は、国宝や重要文化財の建物が集まる、知る人ぞ知る名建築エリア。室町時代後期に創建された臨済宗東福寺派の妙喜庵(みょうきあん)には、重要文化財の書院に接する国宝の「待庵(たいあん)」があります。わび茶を大成させた千利休が、唯一残した茶室と伝えられ、数寄屋造りの原点といわれています。それまでの茶室は四畳半が一般的でしたが、待庵は利休のわびの要素が詰め込まれたわずか二畳の空間で、究極の世界観が表現されています。
待庵から歩いて数分の住宅地には、日本の住宅建築における記念碑的な名建築、聴竹居(ちょうちくきょ)があります。こちらでは聴竹居倶楽部代表理事の松隈章(まつくま あきら)さんが案内。竹中工務店に勤務するかたわら、1996年から聴竹居の保存活動に携わり続けています。
建築家・藤井厚二(ふじい こうじ)は、東京帝国大学を卒業後、竹中工務店に入社。約6年の在籍期間中に先駆的なオフィスビルの設計を手がけました。退社後、京都帝国大学工学部建築学科の教壇に立ちながら、環境工学の研究に取り組みました。大山崎町の広大な山林を購入し、宅地として整備。自らが住む住宅を実験住宅として建てていき、1928年(昭和3年)、5回目に建てたのが聴竹居です。2017年、建築家が自邸として建てた「昭和の住宅」として、初の重要文化財に指定されました。
聴竹居は、藤井が家族と暮らした「本屋(ほんや)」、本屋北にある離れの「閑室(かんしつ)」と、「茶室」の3棟で構成されています。本屋は家族が集う居室、いわゆるリビングが中心になるように設計されています。現代の住宅では一般的ですが、当時としては斬新な間取りでした。和と洋が見事に調和したデザインも大きな特色です。また環境工学の専門家である藤井は、科学的なアプローチで日本の気候風土、とりわけ夏に快適に暮らすための工夫を随所に施しています。そのひとつが導気口。外から流れてくる冷気を、室内に取り込むための装置です。また縁側はサンルームとしての役割を果たし、光をふんだんに取り込む横連窓(よこれんそう)は、風景を額縁のように切り取ります。当時の最先端テクノロジーが詰め込まれた調理室や、居室とゆるやかに区切られた食事室など、デザイン性を考慮しながら、機能性を重視した快適な居住空間が広がります。
藤井が一人で過ごす書斎として建てられた閑室は、数寄屋風。網代(あじろ)や、萩などが用いられた天井など、細部に至るまで凝ったデザインが施され、客人をもてなすこともできる空間になっています。
藤井は生涯で50以上の建物の設計を手掛け、その多くが住宅でした。京都市内にはそのいくつかが残っており、唯一見学ができるのが左京区北白川の旧喜多邸。京都帝国大学の同僚で、工業化学の研究者だった喜多源逸(きた げんいつ)のために設計しました。およそ300坪の敷地に建つ、木造瓦葺きの2階建てで、国の有形文化財に指定。現在は北欧のヴィンテージ家具などのプライベートギャラリー「Relevant Object」(レリヴァント・オブジェクト)の展示スペースとして活用されています(来訪は事前予約制)。藤井が設計した空間に、ヴィンテージデザインがしっくり馴染みます。
【次回放送情報】
■京都画報 第33回「訪ねてみたい京の名邸 -限定公開の住宅遺産-」
BS11にて6月12日(水)よる8時00分~8時55分放送
出演:常盤貴子
※ 放送後、BS11+にて6月12日(水)よる9時~ 2週間限定で見逃し配信いたします。