私の好きな秋の花の一つに、竜胆(りんどう)があります。子供の頃は、田舎の穏やかな山の麓やあぜ道でよく見た気がするのですが、大人になってからは見かけることが少なくなった花の一つでもあります。秋の枯れた草木や空気の中で、光るように、鮮やかな青紫色に咲く竜胆の花を見ると、まるで荒れた岩肌の隙間から現れた宝石のように尊く感じて、心踊るような嬉しい気持ちになったものです。
今も花屋さんで竜胆を買うことがあるのですが、それらの多くは、野山で見かけたものとは少し雰囲気が違うようです。切花向きの、ピンと天に向かって立つ竜胆でなく、地を低く這う龍のような、懐かしい竜胆を見たくなった私は、この日、京都の伏見にある城南宮(じょうなんぐう)に向かいました。
平安京の時代より方除けの大社として信仰される城南宮には、源氏物語に書かれている約110種の草木のうち80種が植栽される御神苑があり、特に春のお庭、しだれ梅と緑の苔に落ちた深紅の椿が共演する風景が有名で、ご存知の方も多いかもしれません。この度伺いました冬の初めのお庭は、春の時期の賑わいに比べて随分と静かでゆったりと鑑賞することができました。
紫式部は、源氏物語の39帖「夕霧」の中で、竜胆の花をこう書きます。
「枯れたる草の下より龍胆のわれ独りのみ心長うはひ出でて露けく見ゆるなど、みな例の頃の事なれど、折から所がらにや、いとたへ難きほどのもの悲しさなり。(枯れた葉の下から竜胆がひとりだけ命の長さを見せて這い出して露に濡れている風情など、みな例の秋の季節のことですけれど、折も折、所が所だけに、全く耐えがたいほどのもの悲しさです。)」(出典:中野幸一(2016)「正訳 源氏物語 本文対照 第七冊 柏木/横笛/鈴虫/夕霧/御法/幻」勉誠社 p.197)
露に濡れる竜胆は息を呑むほど美しいと思うのですが、ここでの竜胆は枯れた秋の風景を一層寒々しく浮き上がらせ、光源氏と葵上の子である美しい夕霧の心細い心情、孤独、もの悲しい気持ちを読者に伝える役割を担っています。
秋の城南宮のお庭には、竜胆の他にも藤袴が美しく咲いていました。本殿のそばで群をなして咲き、ぶんぶんと賑やかな虻やさまざまな色の蝶が訪れるなど、その空気は華やかです。
私はこれまで竜胆を見て寂しさを感じたことはありませんでしたが、紫式部の表現を思い浮かべ、また藤袴を横目に竜胆を見ると、竜胆は確かに孤独な花にも思えてきます。
私はこの花の写生をせずにはいられませんでした(ご迷惑が掛からないよう、誰もいない時間を見計いました)。紫式部はたくさんの植物を物語に書くことで、それらを現代の私たちの前で見事に咲き続ける千年の命へと昇華させたこと。花の画家として心から憧れ、改めて尊敬の気持ちに溢れた一日となりました。