「これほど見事な椿はおそらくないだろう」
生まれは近江国。小室藩の初代藩主でありながら、建築家、作庭家であり、茶人。茶道遠州流の祖である小堀遠州(1579-1647)が、この椿を賛し、のこした言葉です。
以前、この花便りでもご紹介をしました宇治川派流の桜。
第14回「桜吹雪と花筏 / 宇治川派流」
この時の桜吹雪があまりに綺麗で、母は、これまで見た桜の中で一番に美しかったと伝えてくれて、今でも時折、この日の思い出を話します。
あの桜吹雪も素晴らしかったのだけれど、満開の少し前の桜も見てみようと、母と二人、再びこの地を訪ねました。最寄り駅である桃山御陵前駅からすぐのところ、ほんの少しお詣りだけのつもりで立ち寄ってみた御香宮にて出会った椿の花が、今回のエッセイの主役となります。冒頭に書いた椿、その名も、“おそらく椿”です。
椿の木の下でお花見とはあまり聞いたことはありません。ですが確かに、“これほど見事な椿はおそらくないだろう”と思うほどの椿に出会い、しかも偶然にも見頃だったことから、この“おそらく椿”が桜に代わって、この日のお花見の主役となりました。
伝来は、豊臣秀吉の時代、加藤清正が朝鮮出兵にて持ち帰り、秀吉に献上したことにあるそうです。晩年の秀吉はこの椿を茶花として愛でたそうですが、後に、そのうちの一本がこの御香宮に植えられて今も見事に花を咲かせているのです。
“おそらく椿”という名は、もちろん愛称で、正式には、“五色八重散椿(ごしきやえちりつばき)”というようです。
椿といえば、花が終わるときに首からポトンと落ちてしまうものですが、この椿は、花びらが一枚ずつ散るところにも珍しさがあります。戦国の世、頂点に上り詰めた秀吉は、その点も気に入ってこの花を大切にしたのかもしれません。
また、五色八重散椿の特徴は、白地に薄桃色や、桃色の地色に濃い桃色の霜が降るような文様が入った花びらにもあります。ひと花ごとに文様の量が異なり、濃い桃色単色、薄い桃色の単色などと混じることで、確かにひとつの木に五色の花が咲いているかのように見え、しかも花のひとつずつが大ぶりで迫力があります。
そして花そのものの色とかたちが非常に個性的で魅力があるだけでなく、その椿の骨格となる木の枝ぶりにも、私たちは大変魅せられました。優美な龍が地上近くに泳いでいるかのように波打つ幹と枝のかたち。花の色や香りだけではなく、枝ぶりも鑑賞する植物には梅の木などもありますが、椿の木で、枝のかたちに思わず見入って鑑賞したことは、母も私も初めてのことでした。
小堀遠州は秀吉の春のお茶会にて、この椿に出会ったのでしょうか。私たちは桜の木の下に集いお花見をするように、この“おそらく椿”に出会い、椿の木の下に集い、おいしいお茶などをたて、椿餅や和菓子でお花見ができたら、どんなに素敵だろうかと想像をしました。
皆様にも、桜の他に、お花見をしてみたいと思う春の花はありますでしょうか?
今年はお花見シーズンが終わっても、他の様々な花の下でお花見を続けてしまいそうです。