2024年11月21日
歴史には権力争いとその混乱がつきないが、日本でも朝廷が二つに分裂した時代があった。それが後醍醐天皇と足利尊氏が対立した南北朝時代。政権を手中におさめるために鎌倉幕府を討伐した後醍醐天皇だが、かつては味方であった足利尊氏に裏切られ、奈良県の吉野に退いて南朝を開いた。自ら変革に挑み、新たな世界をつかもうとした後醍醐天皇。その数奇な運命を知ることができる場所が今もなお残る。
京都府南部にある笠置寺は、2度目の討幕計画が露見した果てに、後醍醐天皇がたどり着いた地。攻め入る幕府側に巨大な石を投げて応戦したというだけあり、境内にはいまも多くの巨岩、奇石が残る。
さらに南朝の舞台となった吉野山にもゆかりの寺社が点在する。修験道の大本山、金峯山寺境内には南朝3代の歴史が続く吉野朝宮址の石碑があり、行宮とされていた吉水神社(旧吉水院)では後醍醐天皇を祭神として祭る。また吉野山中腹には京都方面を望む後醍醐天皇の陵墓が静かにたたずむ。
一方、京都屈指の景勝地の嵐山にある天龍寺も、後醍醐天皇の菩提を弔うために1339年に建立された名刹だ。
開基は足利尊氏。禅僧、夢窓疎石が敵味方もない「怨親平等」の教えを尊氏に説き、造成に至ったのだという。後醍醐天皇の像を祭る多宝殿は、亀山上皇が離宮を営んだ際に後醍醐天皇の学問所があった地だとか。崩御するまで望郷の念にかられていた後醍醐天皇だが、その御霊は皮肉にも尊氏の手によって京都へと戻ることができた。
【放送時間】
京都浪漫 悠久の物語
「嵐山から吉野へ!稀代の帝王・後醍醐天皇ゆかりの地」
2022年4月25日(月) よる8時~8時53分
BS11(イレブン)にて放送