ここからしか見えない京都
  
佛教大学歴史学部の八木透教授(左)と大文字保存会の長谷川英文理事長。保存会の集会所隣の神社で

コロナ禍でも「五山送り火」を絶やさない 伝統を支える人々

8月16日の夜、京都市中心部を囲む六つの山に炎の文字や絵柄が浮かび上がります。東から反時計回りに大文字、妙・法、船形、左大文字、鳥居形。京都の夏の風物詩として知られる「五山送り火」は、お盆に現世に帰ってきた先祖の霊「オショライさん」を、再びあの世へと送る行事。コロナ禍の今夏、「五山送り火」は昨年に続き、点灯数を縮小しての実施となります。外へ見物に行くよりも、自宅で点火の模様を見て手を合わせるという人も多いのではないでしょうか。

そんな、疫病に生活をおびやかされる今こそ、送り火の灯を消すまいと奔走する人たちがいます。今回は、毎年BS11(イレブン)で放送される「生中継!京都五山送り火」で解説を務める佛教大学歴史学部の八木透教授、NPO法人・大文字保存会の長谷川英文理事長に、送り火の今と未来について話を聞きました。

順にともる供養の火、五山に込められたストーリー

かつては、五山を含め多い時で10カ所以上の文字や絵柄が灯(とも)されていたという送り火。それぞれの社寺や村で継承されていく中で、いくつかの文字は姿を消し、現在の六つの山が残ったといわれています。先祖供養のほか家内安全や五穀豊穣(ほうじょう)祈願などさまざまな意味を含みつつ、「オショライさん送り」の行事として、村人が主導して行われるようになったのは明治以降。公式の記録や文献の少ない「五山送り火」ですが、それは行事が政治的な意図をもって行われてきたのではなく、地元の人々の信心によって受け継がれてきたことを示しています。

大文字火床の上には弘法大師堂があり、送り火の日には献花や供物が捧げられる

「送り火の発想は万灯籠(まんどうろう)から来ていると考えています。江戸時代に、紀州で子どもがたくさん亡くなる疫病が流行した時があった。その時に、たくさんの灯をともして悪疫を払ったという記録が残っているんです。火で死者を供養した。万灯籠が送り火になっていったのは面白い発想ですね。誰かが考えたんでしょう。斜面に火床を築いて松明(たいまつ)を立てたら、遠くの人からも見える、と」(八木教授)

昔は、若くして亡くなったり非業の死を遂げたりと、この世に未練を残して亡くなった人が天災や疫病をもたらすと考えられていました。たくさんの火は、彼らが成仏できるようにと供養すること。それがだんだんと、観衆を意識した行事になり「先祖送り」の面が強調されてきたといいます。

最後に点火される嵯峨鳥居本・曼荼羅山(まんだらやま)の「鳥居形松明送り火」。近くの広沢池では灯籠流しも行われる=Getty Images(2019年8月16日)

「五山送り火連合会が1963(昭和3)年ごろ発足し、新暦の8月16日20時から実施するということと、点火の順が決められました」と長谷川理事長。現在の「五山送り火」の形が整ったのは、それほど昔のことではないようです。山ごとに独立した由緒があり、五つの文字に関連性は見いだしにくいとしながらも、点火の順にはこんな意味があるのではと長谷川理事長は話します。

「子どもたちに送り火を灯す意味を伝えていくために、私は次のように話しています。太陽や月が東の空から西の空へ沈むように、大文字を東の山に灯すと、人形(ひとがた)のオショライさんが北山に向かわれて念仏を唱えられる(妙・法)。賀茂川(三途の川)を渡る、帆柱に火を灯した船(船形)に乗られます。そして大北山に人形(左大文字)が灯され、西方浄土への入り口(鳥居形)が灯ると、無事戻っていかれるのです、と。だから、五山のどこが欠けても浄土に戻れない。全部の火が灯らないと、五山の意味がないんです」(長谷川理事長)

コロナ禍で苦渋の減灯、先祖思う心を投影する送り火

如意ヶ嶽の大文字は6灯、他4山は1〜2灯での送り火となった昨年。山頂で作業に当たる保存会会員も観衆も、密を避けるため苦渋の決断となりました。けれど「中止する」という選択肢は保存会の人々にはなかった様子。長谷川理事長はこう語ります。

「先祖を送るための火を、私らは灯さしてもらってるんです。昨年、うち(大文字)も初めは中心の1灯を灯す予定でしたが、お年寄りのかたは、75灯全部つけるからオショライ送りや、疫病退散なんやという思いがあります。だから少しでも『大』の形を保てるように、主たるとこに灯そうということで6灯になったんです」(長谷川理事長)

コロナ禍の影響で、6灯のみの点火となった東山・如意ヶ嶽の大文字。他4山は1~2灯のみ=2020年8月16日©朝日新聞社

現場では、風向きを伝え、火床から火床へと走り、遠くから大文字を眺めることのない長谷川理事長ですが、そのまなざしは常に送り火を見つめる人とともにあります。

「実は、下の2点を昨年はちょっと上にあげたんです。その方が見やすいかと思って。でも点火が終わって家帰って見たら『やっぱりあかん』と。大文字からは(ほど)遠いと思いました。だから、今年はもっと裾の広がった『大』に見えるように工夫しました。下から見上げる人でもよく見えるように遮蔽木(しゃへいぼく)も切ったので、今年はもっと末広がりの『大』に見えるはずです」(長谷川理事長)

大文字保存会の長谷川英文理事長。幼少の頃から山に入り送り火の準備を手伝ってきた。若いころ、16日の夜に友人らと飲みに出かけるものの、結局気になって19時には帰ってきたという経験も

オショライさんに帰り道がよく見えるように。そして送り火を眺める人々が、心を重ねられるように。死者を供養するための素朴で小さな火が、だんだんと大きく、観衆を意識したものになっていったことについて、八木教授はこう話します。

「もともとは素朴な松明であった火が、『大』や『鳥居』のような形になり風流(ふりゅう)となっていった。見る人を感動させようという意識がそうさせたと思います。そうじゃなかったら、火を大きくしようとか、美しく燃やそうとは思いませんから。京都の人はその火にご自身のご先祖さまを重ねて、手を合わせていらっしゃるんやと思います」

木を植え、山を守る 50年、100年後を見据えて

送り火は、五山それぞれの保存会の人々によって守り、受け継がれています。点火に使う松割り木などの資材も、火床の管理や点火までの手順も、保存会ごとに少しずつ違います。それらをどう継承し、未来へと残していくか。長谷川理事長は今、松割り木となる赤松の植樹・育樹を進めています。送り火の割り木は、やにを多く含んだ赤松でないと燃えません。

集会所に保管されている赤松の割り木。さらに細く割り、束ねて山上へ運ばれる。コロナ禍以前は、松割り木や護摩木に先祖供養や無病息災などの願いを記して奉納されていた

「20年くらい前かな。やっと気づいた。山行っても業者に頼んでも、赤松がないんです。遅きに失したかなと思たけど、今からでも、1本切ったら100本苗木を植える。その中でも将来育つのは10本です。それでも50年後、さらに先を見据えて、次の世代に資材を残してあげんと。やり方をただ伝えて『任すわ』だけでは無責任やから」(長谷川理事長)

一時、問題となっていた火床へのゴミのポイ捨ても、登山者同士の声かけでずいぶんと改善したといいます。年配の登山者が、火床でお弁当を食べている人に話すのです。「この山は何の山やと思う? 大文字さんの送り火の山やで」。倒木や土砂などで荒れた場所を、有志の登山者たちが清掃してくれていることもあるそうです。

文字の火床からは市内が一望できる。送り火翌日の片付け・清掃を行う保存会会員と厄よけの「消し炭」を拾う登山者=2018年8月17日

「もう(火床を)通行止めにしたらという話が上がった時もあった。でも大文字山は市民の憩いの山です。十分使ってもらっていい。木を知ったり動物を観察したり、子どもらも山に親しみながら『この上は大文字の場所やで』と話してもろて」(長谷川理事長)

自身も登山が趣味という八木教授も、うなずきます。「如意ヶ嶽からは他の四山の送り火が見える。他の山からも『大がついた』とわかります。ここが全ての送り火の起点であったんでしょう。私は色んなルートで年に7〜8回は登りますよ。こんなふうに京都市内からあべのハルカス(大阪市阿倍野区の超高層ビル)まで見通せる山なんて他にないですから」

「伝統行事を続けるということは、技術の継承だけが目的じゃない。一年二年とやらなかったら、それに携わっている人間の心が折れると私は思います。地方の祭りなんか、それでなくなってしまうことがあるんですよ。中断したら、しんどい思いをしている人の気持ちが保てなくなる。だから、このコロナ禍で送り火を絶やさなかったいうことは、大きな意味があると思います」(八木教授)

鳥居形松明送り火の保存会特別会員でもある八木教授。今年もKBS京都とBS11「生中継!京都五山送り火」で解説を務める

伝統は、私たちの暮らしの外側にあるのではなく、暮らしの中で、人の手によって支えられています。存続できなかった送り火があったように、絶やすまいと心を砕く人の力なくしては、火はいつか消えてしまいます。50年後、100年後にも、送り火を見つめて手を合わせる人の姿があるように。

今年も、五山に点々とともる火は、亡くなった人を送り、未来をつなぐ希望の光です。

【放送情報】
生中継!京都五山送り火2021
2021年8月16日(月)よる7時00分~8時53分
BS11(イレブン)にて放送

この記事を書いた人
大橋知沙 編集者・ライター
 
東京でインテリア・ライフスタイル系の編集者を経て、2010年京都に移住。 京都のガイドブックやWEB、ライフスタイル誌などを中心に取材・執筆を手がける。 本WEBの連載「京都ゆるり休日さんぽ」をまとめた著書に『京都のいいとこ。』(朝日新聞出版)。編集・執筆に参加した本に『京都手みやげと贈り物カタログ』(朝日新聞出版)、『活版印刷の本』(グラフィック社)、『LETTERS』(手紙社)など。自身も築約80年の古い家で、職人や作家のつくるモノとの暮らしを実践中。  
この記事の写真を撮影した人
津久井珠美 写真家
 
大学卒業後、1年間映写技師として働き、写真を本格的に始める。 2000~2002年、写真家・平間至氏に師事。京都に戻り、雑誌、書籍、広告など、多岐にわたり撮影に携わる。  

朝日新聞デジタルマガジン&Travelより転載
(掲載日:2021年8月13日)

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