はじめまして、望月麻衣と申します。
『京都寺町三条のホームズ』(双葉社)、『わが家は祇園の拝み屋さん』(KADOKAWA)、『満月珈琲店の星詠み』(文藝春秋)という主に京都を舞台とした小説を書いているもの書きです。ありがたいことに『京都寺町三条のホームズ』は第四回京都本大賞をいただきました。
こう書くと、生粋の京都人のように思われるかもしれませんが、そんなことはまったくなく。私の出身は北海道、道産子です。ご縁があって、2013年に京都に移住しました。
北海道から京都に移り住んだ私にとって、京の町は何もかもが目新しく、「気になるもの」でいっぱいでした。著作はそうした余所者目線を詰め込んだ物語となっております。
このたび、ご縁があって、こちらでエッセイを書かせていただけることになったのですが、 なんとテーマが「今、気になるもの」とのこと。まさに、京都に来てから私は「気になるもの」でいっぱい。今はもちろん、過去に気になっていたものも含めて、こちらのエッセイも著作同様に、『余所者から見た京都』を綴らせていただけたらと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
さて、気が付くと2021年も半分まで来てしまいましたね。先月は、京都三大祭りのひとつ、『葵祭』でしたが、斎王代の行列が去年に引き続き、今年も中止になってしまいました。仕方がないことですが、やはり残念です。 私が京都に移り住んで最初に驚いたのが、この『葵祭』でした。地元のテレビ局が『今年の斎王代』の記者会見を開いているのを観たんです。
京都三大祭のひとつ『葵祭』の名前こそ知っていましたが、その中身についてはよく分からず、『斎王代』という祭りの主役がいて、選ばれたことがニュースとなり、記者会見まで開いている。成人式の日すら日程を変更している昨今、京都は『葵祭』を含め、祭りの多くは昔から続く日付けそのままに祭りを執り行う。京都は古から続く歴史と文化をそのまま今の世まで受け継ぎ、それがこの地では特別なことではなく当たり前になっている様子を目の当たりにし、良い意味で衝撃を受けました。
古からの浪漫に胸をときめかせながら、初めて『葵祭』の行列を眺めたのが八年前。 今も私にとって思い入れの強いお祭りなので、昨今の状況は残念ですが、祭りに想いを馳せて、上賀茂神社と下鴨神社を詣りたいと思っています。
これは私個人の見解ですが、上賀茂神社はどこか男性的な、下鴨神社は女性的な雰囲気で、どちらも広い境内と清涼な雰囲気が、心身を癒してくれます。
その際に、食事をと思われたなら、私は下鴨神社の近くにある『ごばん処 田辺宗』さんをおすすめしたいです。
出町桝形商店街の入口の近く、下鴨本通り沿いに『京漬物・味噌 田辺宗』というお漬物屋さんがあります。二階が『ごはん処 田辺宗』という食事処で、『京漬物寿司御膳』というメニューがあります。その名の通り漬物の寿司です。
初めて食べたのは、葵祭を見た帰り、義母が連れて行ってくれたのです。
さて、テーマの『気になるもの』ですが、私は京都に来る前から、この『漬物の寿司』がとても気になっていました。
なぜなら、私は道産子。寿司といえば、新鮮な魚貝類。いわば北国は寿司の本場。
『北海道の美味しい寿司』を私は食べてきているわけです。
そんな私からすると、「どんなに美味しかろうと、魚の寿司には敵うわけがない」という気持ちと、「でも、漬物の寿司って、どんなものなんだろう?」という好奇心が交錯していました。
『京漬物寿司御前』が私の前に置かれました。
茄子、キュウリ、蕪、大根、ゴボウなどが酢飯の上に載って並んでいます。色が鮮やかで美しく、パッと見は、漬物とは分からない感じでした。
口にしてみて、驚きました。
魚の寿司を食べたような感覚がしたのです。
酢飯に合うように上品に味付けされた漬物たち。適度な食感は、漬物の良さが活かされています。あっさりしながらも、しっかりインパクトと満足感を与えてくれます。それは魚の寿司に引けを取らないくらい、とても美味しかったのです。
漬物の寿司は、魚の寿司と比べるものではなく、独自の美味しさを築いていました。
これも海が近くなかった京が生み出した、素晴らしい文化の一つなのかもしれません。
魚の寿司に敵うわけがないなどと高をくくっていた私は、半ば打ちのめされた気分で店を後にしました。
そんなわけで私は、葵祭と漬物の寿司の想い出は、セットになっています。
葵祭の話を聞くと、漬物寿司の味も一緒に思い出し、「また、食べに行きたいな」などとぼんやり思うのでした。
画像素材:PIXTA