美しい風景、豊かな文化、歴史的な名所で多くの人々を魅了している日本屈指の観光都市、京都。
大河ドラマ『光る君へ』の放送が始まり、あらためて京都に注目している方も多いのではないでしょうか?
紫式部の生涯については、多くが謎に包まれていますが、彼女が執筆した『源氏物語』から私たちは当時の生活や文化を知ることができます。
一夫多妻制が当たり前だった平安時代の貴族社会ですが、人の感情は『当たり前』と割り切れるものではなく、やはり抑えきれない嫉妬、哀愁などがあり、千年前も今も人の本質は変わらないものなのだな、と私はしみじみ思ったものです。
さて、今回は大河ドラマでおおいに盛り上がっている紫式部ゆかりの地を案内させていただきたいと思います。
ですが、一言で『ゆかりの地』と言っても実はたくさんあるので、
今回は洛中・洛北をご紹介させていただきます。
1. 京都御所(御苑)
いわずもがな、紫式部が女官として仕えた宮廷です。もちろん、当時の御所とは場所等が違っていますが(当時の御所は千本丸太町のあたりにあったそう)、現在でも京都御所を訪れると紫式部が歩いたであろう場所や当時の雰囲気を感じることができます。春と秋には一般公開もされますので、ぜひ、情報をチェックしてみてください。初めて清涼殿を拝見した時、歴史的、文化的な重みや美しさが感じられて、感動しました。
2. 廬山寺(ろざんじ)
場所は京都御所の東側。紫式部の曽祖父、藤原兼輔が建てた邸宅であり、紫式部がここに身を寄せていた期間が長く、『源氏物語』もこの邸で執筆をしたと伝えられています。
『源氏物語』好きな方、また文筆家の方は、ぜひぜひ、この寺を詣り、千年先の時代でも愛される作品を書いた紫式部のパワーを受け取っていただきたいです。
3. 雲林院
『源氏物語』の中で、光の君は藤壺のつれない態度に心を痛めて、出家しようとしました。
その時のお寺がこちらの『雲林院』です。現在は小さなお寺ですが、かつて大徳寺をしのぐほど、広大な敷地を誇るお寺でした。桜と紅葉の名所として知られていたそうです。
六歌仙の一人、僧正遍昭が詠んだ歌が石碑に刻まれています。
『天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ』
その意味は、「空を吹く風よ、雲の中の通い路を吹き閉ざしておくれ。天女たちの姿をもう少しとどめておきたい」というものです。「雲の通い路」は、天と地をつなぐ天女が通る道。「をとめ」は天女のこと。この歌は、宮中の行事で舞姫たちが『五節の舞』を披露し、その舞を見た際の感想だそうです。
「美しい彼女たちの舞をもっと見ていたい、まだまだ帰らないでほしい」
というこの感想を聞いた時私は、『なんて、ストレートなお坊さん!』と正直思ったのですが、大河ドラマの中で『五節の舞』のシーンを観た時は、もっと観たかったと息を呑むほどに美しかったので、この歌を詠んだ気持ちを理解することができました。
4. 片山御子神社(かたやまみこじんじゃ)
上賀茂神社境内にある片山御子神社は、紫式部が参拝していたといわれています。
石には、紫式部の歌が刻まれていました。
『ほととぎす 声まつほどは 片岡のもりのしづくに たちやぬれまし』
運命の相手の声を待っている間は、この片岡社の梢の下に立って、朝霧の雫に濡れていましょう――という歌だそう。
この社は、いにしえより縁結び、恋愛成就の神様として知られていたそうで、紫式部も素敵な結婚相手に出会えるのを心待ちにしていたのでしょう。
ドラマと合わせて考えると、ほんのり切ないかもしれませんね。
5. 紫式部のお墓
紫式部が眠るとされる場所は、堀川通北大路下ル西側にあります
注目すべきは『紫式部墓所』という石碑の隣に『小野篁卿墓』があるところ。そう、なんと紫式部は、閻魔大王に仕えたと言われている小野篁の墓の隣にあるのです。
というのも、「紫式部は愛憎劇を書き、風紀を乱し、人々を惑わせたから地獄に落ちたに違いない」と考えられていたそう。なかなか酷い話です。
そんな紫式部を「救ってあげたい」と小野篁の隣にしたとか。
やっぱり彼女が愛されていたのが伝わってくるエピソードです。
ではでは、第一回はこの辺で。
次回も紫式部ゆかりの地をご案内したいと思います。
よろしくお願いいたします。
新刊のお知らせです
望月麻衣作家デビュー10周年記念
あの頃夢中になって読んだ少女小説に想いを馳せて書いた、西洋風ファンタジー!
『仮初めの魔導士は偽りの花』(角川文庫)
3月22日(金)発売です!
よろしくお願いいたします。