「あゆちゃん、智積院って行ったことある?」
そう声をかけてくれたのは、京都でとても顔が広い友人。
彼女のお友達のお坊さんが、「国宝の壁画」やお庭を案内してくれるというのです。
真言宗智山派の総本山智積院は修行の場としての学山として知られますが、この若いお坊さんが10代からの修行と20年のお役目を果たして、桜散る頃までに故郷に帰ってしまうとのこと。
大切なお友達の最後のご案内となる日、彼女はこうして声をかけてくれたのでした。
訪れたのは京都で桜の開花宣言があった日。
境内のほとんどの桜が見頃には少し早かったのですが、早咲きの山桜が見事に満開で、ソメイヨシノとはまた違う、昔ながらの素朴な桜の魅力と春の訪れをしみじみと感じ、私たちは大いに喜びました。
さて、先述の国宝の壁画とは、長谷川等伯の楓図と息子久蔵の桜図のことです。
安土桃山の時、能登からきた長谷川等伯はなぜ京の都で大きく活躍し、作品と共にその名を残すことができたのか。驚くべき才能は勿論、ドラマチックなエピソードにも事欠かない絵師で、千利休や秀吉など周辺の登場人物も実に華やかなこと。
ちなみに、等伯に深く所縁があり涅槃図等の彼の貴重な作品を所蔵する「本法寺」もまた、おすすめの桜の名所です。
本堂でお経をいただいた後、案内された部屋に、大変な迫力でその作品はありました。
満開の桜図は、久蔵が若くして亡くなる前年25歳の作と伝えられ、金箔地に盛り上げ胡粉(貝殻を原料とする伝統画材)で豪華な桜が表現されています。
金地は外の光を受けて輝き、陽と共に深く沈みますが、胡粉の色は暗がりにもうっすらと光るように見えるはずです。文字通り夜桜の如く、昼とは違う表情で魅力を発揮する桜図。このように技巧的な作品は、本画に入る前に構図を完璧に決めておくことが重要です。直接墨入れをしながら父親や先輩から沢山のアドバイスがあったことでしょう。盛上げ胡粉の根気のいる作業。ひと花ずつ、その技法を自分のものにしながら咲かせていく姿が目に浮かびます。満開が近づくにつれ自身の命の終わりも迫っていたことを、本人の魂は知っていたのでしょうか。
智積院は七度の火災を経験しましたが、その度にこの楓や桜図を僧侶たちが抱えて逃げたとのお話でした。「もしもの時は命がけでこの絵をお守りする。その為にも我々がいるのです」と。
絵が残るもう一つの本当の理由。解説の最後にさらりと仰った言葉が、胸に深く刻まれました。