花盛りの五月、京都 御霊神社(上御霊神社・御霊さん)では、今年も「いちはつ」の花が美しく咲いています。
「いずれ菖蒲か杜若」、花を美女に例えたいわれもある少し艶っぽいこの慣用句が私は大好きなのですが、そんなアヤメの仲間で一番初めに咲く花が、今回の主役「いちはつ」です。
御霊神社のいちはつの花。紫の点描を描く御霊神社境内の風景画も素晴らしいのですが、外堀を囲むような群生もまた見事です。
碁盤の目のように整備された京都の町ですが、御霊神社の周囲を歩くとしなやかな曲線を描く水路の跡に気が付きます。いちはつが咲くこの場所は、戦前までは水が流れ、四季咲きの燕子花が咲いていたそう。当時の風景をしのび、湿地でなくても咲くことができる燕子花に似たいちはつが植えられたという経緯があり、今も有志「いちはつの会」の方々がお世話をしてくださっているそうです。
ところで、神社のすぐ近くにある「尾形光琳宅跡蹟」という石標に気付いた日の感激は、今も忘れられません。 日本美術史に燦然と輝く江戸時代の絵師、尾形光琳。裕福な呉服商の家に生まれ、陶工の尾形乾山は弟で光琳とともに茶人でもあります。本阿弥光悦の本阿弥家(前回のエッセイで紹介した本法寺が菩提寺)とは縁戚で、お能は自分でも舞っていたようです。
美術ファンでなくとも、彼の傑作「燕子花図屏風」をご存知の方は多いと思います。直接の着想を得た場所などは尾形光琳本人にしか知り得ないことですが、燕子花をあそこまで見事な姿で描ききることができるのは光琳の天才性ばかりではなく、自然や美しいものに対する日ごろからの好奇心と観察を積み重ねた、たまもの。同じ場所に立ち、同じ花の色を眺めていると思うと喜びでいっぱいになります。
私がいちはつを見た日、御霊神社の境内には五月の御霊会を前に金色に輝くお神輿も出ていました。
御霊神社は平安遷都の際に早良親王らの御神霊を鎮めるため、桓武天皇によって創建されたと伝わる古社。御霊祭の「渡御之儀」は、祭礼として最古の御霊会を今に伝えます。剣鉾や、立派な黒牛のひく御所車(花車)などに先導され、お神輿が氏子地域を御所まで練り歩き、雅でありながら活気あふれる風景は圧巻です。祭礼当日が毎年18日。偶然のはずですが、「いちはつ」と読めることも面白いですね。