このあたり、何度花の取材に来たことかわかりません。このたびの「京の花便り」の主役、「梨木神社」も大好きな場所のひとつ。紫式部邸宅跡とされる蘆山寺のすぐ西、現在の京都御所のすぐ東にあります。名前に「梨」がつきますが、ここは京の萩の名所です。
別名「萩の宮」と呼ばれ、古今を通じて多くの萩の歌が詠まれてきました。境内には丁寧に手入れされた500株以上の萩が植えられていて、花の時期におこなわれる「萩まつり」がとても素敵なのです。
素朴なイメージがある萩の花ですが、ここにくるとこんなに高貴で可憐な花だったかと 毎年新鮮な気持ちで驚いてしまいます。この花が、小さなお米粒のようなつぼみから次々と咲く。萩の花片が蝶のようなかたちであることも、手品師が何でもない布やハットからウサギや小鳥を取り出すマジックを見るようで、この中でいったい何が起こっているのかと小さなつぼみをまじまじと眺めてしまいます。また、萩は花と共に葉もとても綺麗です。柔らかくも艶やかな質感、お行儀よく並ぶまるい葉のかたちは巫女さんがもつ神楽鈴のようで、風にゆれるとシャラシャラと優しい音色が聴こえてきそうです。
萩の姿に心打たれながら、ふと、花を愛でることは恋をすることにも似ているなあと思いました。恋は盲目、とよく言うけれど、その花の美しい部分ばかりが目に入って、その季節がくるたび、まるで初めてみたいに感動することができる。
この日は朝からあいにくの雨。しかし、そのおかげで、萩の葉と花の先に雨粒が滴り、雨上がりには雫の中に光を集める様子を見ることができ、それは本当に息をのむほどの美しさでした。
ご奉納の舞が始まるころには雨も止み、私もタイミングよく鑑賞やお参りをすることができました。大人の方の踊りはゆったりと余裕があり、とても優雅で素晴らしいのですが、お弟子の子供たちが披露する舞もとても上手でたまらなく可愛く、ちょこんと正座をしながら出番を待つ様子さえ、萩の花の妖精の姿を見るようでした。
他に、弓術や狂言、尺八や琴の演奏なども奉納されるそうですが、私が殊に印象的だったのが、奉納された歌の数々。短冊にしたためられた萩の和歌が、しなやかにたわむ萩の枝の先で、まるで七夕飾りのように秋風にゆれています。 お花を題材に神社に奉じられる歌ですから、素直に共感することができる温かで優しいまなざしの歌がほとんど。萩の花を愛でながら歌の情景や詠まれた方の思いを想像する時間は、とても豊かで心地の良いものでした。
ところで、この日はお彼岸でもありました。
花を手向けるようにいただく春の「牡丹餅」を、秋のお彼岸には萩の花に見立てなおして「御萩」と呼びかえてしまう。抽象的で、自由で、そして何よりも突き抜けて優しい日本の文化、日本語の感性が私は本当に好きです。