この数年、私が密かに追いかけ続けている花があります。
お茶の花です。
賑やかで華やかだった京都の夏が終わり、涼しくなった頃に咲き始める茶の花は、ツバキ科に属し、椿や山茶花に似た白い花を咲かせます。花の大きさは椿や山茶花よりもずっと小さく、ボリュームのある蕊とそれを包むつぼみや花びらの丸い形がとても可愛いのです。
ある旅先でのことです。私の花好きを知った地元の方が、人里と少し離れたところにある樹齢数百年の茶の木(記憶が曖昧で、千年近いと仰られた気もします。)のある場所に連れて行ってくださったことがありました。生まれて初めて見る野生の茶の木。幻想的な雰囲気と迫力に言葉を失ってしまいました。しかもその茶の木にはこれでもかというほどに沢山の茶の花が咲いていて、根本にも落ちた花が綺麗な白色を保って、美しい偶然の模様を作っていました。
そのうち雨が降り始め、土や草や木々があっという間に湿り、雨や緑の清らかな香りに包まれながら、まるで、茶の木に抱かれているような気持ちになりました。幹や枝葉に、この木も昔は人の生活とともにあったのだ、という穏やかでかすかな記憶を宿しているようにも感じました。涙が出そうになるほど感動して、それ以来、茶の花は私にとって特別な存在になったのでした。
京都にはお茶にまつわるおすすめスポットが沢山ありますが、茶の花の季節に訪れたい場所のひとつとして臨済宗の開祖・栄西開山の建仁寺があります。
宋に渡った栄西は日本に茶の種をもちかえり、「喫茶養生記」を記しました。面白いことに建仁寺の生垣は茶の木で作られていて、境内には栄西を讃える茶碑と共に茶苑も見ることができます。
格式高いお寺に上がってのお花見は、時に緊張感をも伴うものですが、建仁寺の茶の花は垣根そのものに咲きますから、外側からお散歩するようにお花見することができて、少し気楽に鑑賞することができます。
流派やお作法がある茶道のように精神の内側に深く向かうお茶文化の側面と、労働の休息や家族の団らんと共にある日本人のお茶文化。その2つの側面は、年月を経ても境界が曖昧にならないように思います。そして、茶の木が作る生垣というかたちが、そのままそれを現しているかのようで面白く感じました。
茶の栽培と普及に努めて上流階級に限られていたお茶の文化を一般に伝えた栄西禅師。私は茶の花を愛でながら、2つの側面において今も日本人の心の豊かさに影響を与え続ける栄西禅師に、畏敬の念を抱かずにはいられませんでした。