ここからしか見えない京都
  

第26回「橋本関雪とヨネさんのさくら / 琵琶湖疏水」

遅咲きの八重桜もそろそろ終わりですね。5月を目前にしながら、いまだに桜のことを語るのは野暮かもしれませんが、あとほんの少し、私の桜の花への名残惜しさにお付き合いください。

さて、昨年の4月は宇治川派流の花筏のことを書かせていただきました。
https://www.kyoto-tokutoseki.jp/feature/hanadayori/2023/04/21/3264/

花筏とは、桜の花びらが筏のように水面に浮かび、連なって流れていく列のこと。宇治川流域の桜も素晴らしいのですが、銀閣寺と南禅寺を結ぶ「哲学の道」の脇に流れる琵琶湖疏水沿いの「関雪桜」と呼ばれる桜並木もまた大変美しく、桜並木と花筏を一目見ようと、この日もたくさんの方々で賑わっていました。
この疏水は南から北へとゆっくりと流れています。花筏ができるあたり、つまり、哲学の道の北側には、京都画壇の巨匠、橋本関雪(1883~1945)の邸宅があった白沙村荘 橋本関雪記念館があります。

関雪桜に集う人はこんなに多いけれど、その中で、関雪がどういう人であったとか、関雪桜が関雪と妻のヨネ(~1932)によって贈られたものであることなどを思いながら、しみじみと見ている人は多くないのかもしれないなと、ふと思いました。
白沙村荘 橋本関雪記念館の門をくぐると、先ほどの疏水で出会った賑わいが幻であったかと思うほどに静かで、美術館があるお庭の奥へと進むほどに、さらに清らかで静謐な空気になっていくのを感じました。

貴重な石像や石塔がある美しい石庭は、関雪が自ら設計したそうです。
全体の美意識や世界観にすっと背筋が伸びるような厳格さを感じる一方で、細部に目を凝らせば、野山にもあるような小さな花、素朴な草花が咲いているのを見つけることができたり、それを採取したものなのか、ところどころに小さな花籠や大きな器に草花が生けてあったりして、そのまなざしのしなやかな優しさにほっとしたりもする。日本画で花を描く私にとっては、木々や草花の声を聴きながら、同時に関雪とも静かに語り合えるような気持ちになる空間でもあります。

私がお伺いしたこの日、橋本関雪記念館では、1938年作の関雪の逸品「秋桜老猿」が、桜が咲く間の継続展示として特別公開されていました。
この作品に添えられていたキャプションが印象的だったので、そのままここに載せます。
「桜の枯木に登る猿の横で、葉が紅葉した季節外れの桜が花を咲かせる。ニホンザルの画は、関雪の場合セルフポートレイトの役割を持つ場合が多くあり、本作もまたその範疇にあるのかと考えられる。白沙村荘の近くにある「哲学の道」の沿道には関雪夫妻が寄贈した桜並木が続いている。妻を喪った後の関雪の心境を鑑みれば、桜をじっと見る猿の姿に一種の哀しさを感じる。」

ニホンザルの画は、関雪にとっての自画像の役割を持つ場合が多くあると。この文を手がかりに再び絵を見つめると、脇役に見えていた桜の花がヨネさんの象徴であり、夫婦の物語をも含んだ肖像画のような、胸が少し苦しくなる恋文のような絵としても立体的に浮き上がって見えはじめます。ヨネさんが亡くなられて6年後の作品です。

生前、関雪はヨネさんと疏水に舟を出して遊んだそうです。
静かな夜に舟の上で楽しむ夫婦の時間。春に桜があり、秋に月があり。
ヨネさんが関雪を残して旅立つのも、桜が美しい4月のことでした。
桜よ桜、その時のことを覚えていますか?

関雪桜だけが知っていて、これからも語られることのない夫婦の風景、様々な物語が、きっとたくさんあるのでしょう。
来年も再来年もいつまでもこの場所で、桜が美しく咲きますように。

花と夢 定家亜由子展―艶やかな光につつまれて―
[東京展] 2024年5月1日(水)– 5月6日(月) 日本橋高島屋  S.C.
[京都展] 2024年5月15日(水)– 5月20日(月) 京都高島屋
[大阪展] 2024年5月29日(水)– 6月3日(月) 大阪高島屋
[横浜展] 2024年6月12日(水)– 6月17日(月)  横浜高島屋

この記事を書いた人
定家亜由子
 
京都在住の日本画家。伝統画材にて花を描く。
高野山大本山寶壽院 襖絵奉納
白沙村荘 橋本関雪記念館 定家亜由子展等、個展多数。
画文集『美しいものを、美しく 定家亜由子の日本画の世界』(淡交社) 刊行。  
 

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