本能寺の変によって人生を大きく左右された人物のゆかりの地を訪ねる、3回シリーズの第2回目。今回は「本能寺の変」から「山崎の戦い」へ、明智光秀の足取りを追う。
(前回の織田信長の記事はこちら)
日本の歴史を大きく変えた本能寺の変。主君を討った明智光秀の動機や織田信長の遺体の行方、光秀のその後の足跡など、戦国最大のミステリー事件は、現代もなお歴史ファンの好奇心を搔き立てている。
舞台となった本能寺(現在の寺名の「能」はつくりがヒではなく去のようなつくり)は、1415年(応永22年)に日隆聖人が法華経を広めるために開山。信長は当時の住職だった日承上人と懇意にし、本能寺には4度滞在したという。数度にわたる災禍に見舞われた本能寺。現在の本堂は、1928年(昭和3年)に再建されたもの。河原町通に面した市街地にありながら、7軒の塔頭寺院や宝物館のほか、信長の三男信孝の命によって建立された信長公廟がある。
本能寺の変の後、一説には明智軍は安土城に向かったといわれる。それを裏付けるように、滋賀県大津市の石山寺塔頭寺院から、光秀の重臣・明智弥平治秀満の軍事行動を綴った古文書が出てきた。石山寺は琵琶湖から流れ出る瀬田川のほとりにあり、東岸に渡れば安土城へと続く交通の要衝にある。平安時代には清水寺や奈良の長谷寺と並ぶ三観音と呼ばれ、紫式部がこの寺で「源氏物語」の着想を得たといわれる名刹だ。清水寺と同じ舞台造の本堂(国宝)や、日本最古といわれる多宝塔(国宝)をはじめ、源頼朝寄進といわれる鐘楼、瀬田川や名月を望む「月見亭」など見どころも多い。
光秀はその後、備中から舞い戻ってきた豊臣秀吉と、都の南西にある山崎の地で対峙する。これが覇権をかけた「山崎の戦い」だ。秀吉がこの際、本陣を置いた天王山は戦いの舞台を望む小高い山。ここ一番の大勝負の代名詞になっている「天下分け目の天王山」は、山崎の戦いで生まれた。現在、その南麓にあるのが「アサヒビール大山崎山荘美術館」。イギリスの様式を取り入れたモダンな洋館では、アサヒビール初代社長・山本爲三郎コレクションのモネの絵画や、陶芸家・河井寛次郎の作品など、国内外の工芸品を鑑賞することができる。
次回は明智光秀の三女、細川ガラシャのゆかりの地を訪ねる。
制作著作:KBS京都 / BS11
【放送時間】
京都浪漫 悠久の物語
「都を見守る船岡山〜信長ゆかりの神社と隠れた名所〜」
2022年5月23日(月) よる8時~8時53分
「明智光秀 最期の17日間~コロナ禍で発見された知られざる戦の記録~」
2022年5月30日(月) よる8時~8時53分
「細川ガラシャ 波乱の生涯~花も花なれ 人も人なれ~」
2022年6月6日(月) よる8時~8時53分
BS11(イレブン)にて放送