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358年目の初公開!大徳寺仏殿へ

大燈(だいとう)国師(こくし)が開創した大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山。三門、仏殿、法堂、唐門、それに続く方丈や庫裡など伽藍が南北に並び、禅の修行を最優先する国師の教えから境内には桜やカエデなどもなく、修行の地にふさわしい凛とした空気が満ちあふれている。鎌倉末期には花園上皇と後醍醐天皇が帰依し、一時は隆盛を誇ったが後の応仁の乱で焼失。それを再建したのが「一休さん」こと一休宗純禅師だ。さらに安土桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、秀吉に仕えた千利休は三門の「金毛閣」二階部分を寄進した。大徳寺はまさに歴史上の様々なドラマを見つめてきた名刹だ。通常は非公開の本坊伽藍だが、2023年は4月27日から6月4日まで特別公開される。

「金毛閣」は、上層に利休の雪駄履きの木像が安置されたことに秀吉が怒り、利休に切腹を命じた、いわばいわく付きの門だ。春の特別公開では、普段は閉じられている「金毛閣」の扉を開放し、ここを通り抜けて仏殿や法堂に向かうことができる。

利休が断罪される原因となった三門の「金毛閣」。上層部分を増築した2年後に、利休は秀吉から切腹を命じられた

仏殿は、再建以来358年目にして一般の立ち入りが許された。普段は開放された正面の扉越しに中を見ることができたが、特別公開期間は内部に入り、本尊や天井図を間近に目にすることができる。本尊の釈迦如来坐像は江戸時代の仏師・(げん)(しん)作、天井に描かれた天女の姿は室町時代の絵師・狩野(もと)(のぶ)作と伝わる。

本尊の釈迦如来坐像。東山区・方広寺の大仏の試作を兼ね、10分の1のサイズで造られたものを徳川4代将軍家綱が寄進した

そして法堂の天井には、大きな目でこちらを睨む龍の姿が。こちらは江戸時代の天才絵師・狩野探幽が、35歳のときに描いたといわれる「雲龍図」で、手を叩くと音が大きく反響することから別名「鳴き龍」と呼ばれる。法堂の北にある国宝の唐門は、秀吉の邸宅であった(じゅ)楽第(らくてい)の遺構と伝わる。西本願寺、豊国神社と並ぶ「桃山の三唐門」の一つに数えられ、日光東照宮の陽明門(ようめいもん)のモデルになったという。極彩色に彩られた飾り彫りや、菊や桐の飾金具など、さながら芸術品のような門は1日中眺めていても飽きないことから「日暮門(ひぐらしもん)」とも呼ばれる。

法堂の天井画「雲龍図」。天井がゆるいドーム状になっていることから音が反響しやすく、手を叩くとまるで龍が鳴いているように響き渡る
極彩色の龍や麒麟など、見事な彫刻に埋められた唐門。金メッキが施された菊や桐の無数の飾金具で、より一層豪奢に見える

今回番組では、現在修復工事中で非公開の国宝・方丈の内部を、特別に撮影している。

制作著作:KBS京都 / BS11

【放送時間】
京都浪漫 悠久の物語
「春は大徳寺の本坊へ!~初公開の仏殿と名僧・茶聖の面影~」
2023年4月3日(月) よる8時~8時53分
BS11(イレブン)にて放送

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