「疫病退散」や「無病息災」を願う行事や風習が、これほどたくさんあるとは、京都に住むまで知りませんでした。あちこちの民家の軒先に飾られた、祇園祭の山鉾(やまほこ)の粽(ちまき)。一年の折り返し地点にあたる6月末、氷を模した三角形のういろう菓子・水無月(みなづき)を食べる慣習。かぼちゃ供養に大根焚(だいこた)き。そして旧暦の新年を迎える節分になれば、豆まきや柊鰯(ひいらぎいわし)で、来たる年の平穏無事を祈るのです。
決められた日に決められたものを食べたり、飾ったりすること。京都人がとりわけそれを好むのか、京都という土地柄、そうした慣習がすたれず受け継がれているのか、理由はきっとその両方です。ただ、コロナ禍以前は、「無病息災を祈る」といった目的よりも、イベントの一つとして楽しんでいた人も多いのではないでしょうか。私もその一人です。
長引くコロナ禍の中で、昔の人々が「疫病退散」のために祭を行い、「無病息災」を願って決められたものを食べたり飾ったりした理由を、よりリアルに想像するようになりました。都に疫病が蔓延(まんえん)したとき、現代のように医科学で説明することができないのですから、非業の死を遂げた怨霊や疫病をつかさどる神が、たたりを起こしていると考えても不思議ではありません。まして、衛生環境も医療環境も整わない時代。「死」はもっと身近で、「霊」や「神」の存在に直結していたのだろうと想像できます。
祇園祭の粽には「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と記された護符が付いています。これは、八坂神社(東山区・祇園)の摂社「疫神社(えきじんじゃ)」の祭神・蘇民将来にまつわる言い伝えが由来。かつて、旅の途中で宿を探していた神を、蘇民の弟で裕福だった巨旦将来(こたんしょうらい)は断り、兄の蘇民は貧しいながらももてなしました。
この神の正体は、八坂神社の祭神であるスサノオノミコト。蘇民の一族は、茅(ち)の輪を腰に付けて「蘇民将来之子孫也」といえば、厄災から守られることを約束されたと伝えられています。粽はその茅の輪の名残だそう。千年の時を経て、私たちは今も神様に「蘇民将来之子孫也」とメッセージを送っている、というわけです。
西陣・紫野(むらさきの)地域の氏神として親しまれる「今宮神社」(北区)にも、「疫」と名のつく社があります。本社の西隣に鎮座する摂社「疫社(えやみしゃ)」は、紫野の地で荒ぶる疫神を鎮めるために建てられた社。疫神をスサノオノミコトとして祀(まつ)ることで、疫病をはやらせる神から鎮める神へと、なだめようとしたのだそうです。無病息災などを祈る京都の行事の多くは、この世に未練を残して亡くなった人の霊を供養する「御霊会(ごりょうえ)」がルーツ。そこからうかがえるのは、悪霊たちを敵として攻撃するのではなく、「未練があったろう」「無念だったろう」と心を寄せ、成仏させようとした、当時の人々の懐の深さです。
「(疫病を広める神と鎮める神は、表裏一体)。決して追いやったり、無くしてしまったりということを願っているわけではないんです。なんらかの形で、この世の中に共存していくんだということを昔の人は理解して、鎮める神としてお祀りしていたんだと思います。お社は、そうした人々の思いがあって成り立っているもの。継続され、くり返されていることでお社も神様もそこに存在し得たのだと思います」と、今宮神社の宮司・佐々木從久(よりひさ)さんは語ります。
祭りや風習は、先人が、自分たちの子孫まで厄災から守ろうとした伝承のかたち。暮らしに染みついた慣習となることで、後世まで受け継がれるようにと願ったのでしょう。古都に脈々と息づく、「無病息災」を祈る心。そこには、見えないものへの想像力と畏怖(いふ)の念、未来を思うメッセージがこめられています。
【放送時間】
京都画報 爽秋・開運の名所を訪ねて
2021年9月22日(水) よる8時~8時54分
BS11(イレブン)にて放送