※〈前編〉からつづく
祇園祭の舞台でもあり、屈指の観光地でありながら、目も舌も肥えた粋人(すいじん)の遊び場。祇園にはいくつもの顔があります。近年「SNS映え」スポットとして注目を浴びる、八坂庚申(こうしん)堂もその一つ。境内に無数につるされた、色とりどりの手まりのようなものは「くくり猿」。カラフルな見た目でフォトスポットとして人気を集めますが、手足をくくられた猿にはこんな意味があります。
「人間の心が常に動き回っている。それをお猿さんに例えている。お猿さんも動き回っていますよね? 動き回る心をコントロールして、成すべきことをかなえる(よう努力する)。そしたら本尊さんも『努力してるんやから助けたろか』となるわけです」
そう話す、住職の奥村真永さん。絵馬のようにくくり猿に願い事を書き、つるすと、ご本尊の使いである猿が願い事を言付けてくれるというわけです。華やかなビジュアルに反して、手足をくくられた猿が示すのは浮つく人の心への訓戒。60年に一度しかご開帳されないという八坂庚申堂のご本尊「青面金剛(しょうめんこんごう)」も、その御前立(おまえだち)を見ると、人間への戒めを体現するような姿かたちをしています。
「怖い顔、おどろおどろしい姿をしています。これらはすべて、悪いことをしそうな人たちに『やったらあかんよ』と伝えてくれているんです」(奥村さん)
今宮神社(北区紫野)の摂社「疫社(えきしゃ)」でも、疫神を鎮めるための社がありました。神や仏は必ずしも、慈愛と救いに満ちた姿をしているとは限りません。水がさまざまな恵みをもたらす一方で厄災を引き起こすこともあるように、福と禍は表裏一体。京都に伝わるさまざまな祭りや信仰のかたち、多彩で豊かな文化芸術を見つめると、そこには必ず、自然や神や精霊といった、目には見えないものへの畏怖(いふ)の念があります。
祇園祭では7月10日と28日に、鴨川の水をくみ上げ神輿を清める「神輿洗い」という神事が行われます。三基の神輿が八坂神社から四条寺町の御旅所(おたびしょ)へと渡御するのが「神幸祭」、その一週間後、御旅所から再び八坂神社へと還幸(かんこう)するのが「還幸祭」です。これらの前後に行われる「神輿洗い」に、京の暮らしと文化になくてはならない鴨川の水が使われていること。京都の人々がいかに水を尊び、畏(おそ)れまつっていたかがうかがい知れます。
「水」が京都の祭りや風習に深く関わり、豊かな食を育み、文化を成熟させていったということ。その背景を想像すると、祇園の街のにぎわいも、京料理のもてなしの心も、さまざまなかたちで受け継がれる信仰や風習も、地続きとなって見えてきます。神々や自然を敬いながら、街の人々が自らも楽しむことを忘れなかったからこそ、今日の京都の文化があるのではないでしょうか。古都をうるおす「水」の物語から、そこに宿る人々の知恵と和楽の心を感じてみてください。
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京都画報 爽秋・開運の名所を訪ねて
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(2021年10月6日 よる9時まで)