京都市内の中心部に位置する、京都御所。その周りを取り囲む緑地公園・京都御苑は、京都人の憩いの場です。1869年まで御所には天皇が住まい、周辺に公家屋敷が立ち並んだ公家町が、かつての京都御苑の姿。しかも、天皇や公家は決して遠い存在ではなく、京都の文化の源となり人々の身近な存在だったといいます。
「実際は(公家町を)色んな商人が行商したりもしておりましたし、見物客も公家が御所に参内(さんだい)する場面を見るスポットがあったらしく、結構行き来が自由だったみたいですね。京都の町と御所が非常に親密な関係であったことは間違いないんですね」
そう話すのは、衣紋道山科流若宗家・山科言親(ときちか)さん。平安時代後期より続く公家・山科家の30代目家元後嗣で、代々、衣紋道の家柄として、宮中の装束をあつらえたり着付けたりする役目を果たしてきました。私たちが古典文学を元にしたテレビドラマなどで目にする十二単(じゅうにひとえ)などの宮中装束の着付けは、特別な技術と知識が必要なもの。山科さんは、皇室の儀礼などで装束の着付けを務めるほか、宮中文化の研究者としても活動しています。
「(御所や公家町との)密接なつながりの中で、(町衆も)御所の文化の影響をたぶんに受けていく。それがまたさらに色んな地域の方が憧れて、宮中由来の文化が波及していく。というのが江戸時代の京都の文化。(御所は)まさにその核だったということが言えると思います」(山科さん)
3月の風物詩であるひな人形も、宮中文化に端を発するものの一つです。厄災を人の身代わりとなって引き受けてくれる人形を川に流す「流しびな」という行事や、平安時代に公家の子どもたちが遊んだ「ひひな遊び」などが起源となったと伝わる、ひな人形。江戸時代中期に誕生した「有職雛(ゆうそくびな)」は、装束から化粧まで、平安時代の公家の夫婦の姿を忠実に再現したひな人形です。
江戸時代の人々にとっても、宮中文化は日本文化のルーツであり憧れだったのでしょう。おひな様がまとうのは「小袿(こうちぎ)」という十二単の略装。着物の色の重なりで季節や雅を表現した「襲(かさね)の色目」も、コミュニケーションやマナーに欠かせなかった扇も、ミニチュアながら精巧に表現されています。それらはすべて分業制で、織物、小道具、着付けや髪結いにいたるまで、さまざまな職人の手により作られてきました。
「それだけの職人さんが実際に京都にいらっしゃったからこそ、こうした品格の高い人形が実現できたわけですね」(山科さん)
京の職人が支えてきた、宮中の生活様式に欠かせないものの一つとして、扇子があります。扇子の骨組みとなる竹の加工から紙の貼り付け、絵付けなど、製作には87もの工程を経るという京扇子。1823(文政6)年創業の「宮脇賣扇庵」では、皇室の公式行事で使われる扇子を手掛けるほか、京都画壇の重鎮らと親交を深めつつ芸術品としての京扇子を作りあげてきました。
「宮脇賣扇庵」本店の2階にある天井画は、1902(明治35)年、3代目・宮脇新兵衛が交流のあった48名の日本画家に扇の絵図を描いてもらったもの。美術館に所蔵されていても不思議ではない美術品ながら、誰でも訪ねることができる店舗の2階に飾っていることについて、8代目・南忠政さんはこう話します。
「貴重なものではあるんですけれども、これからも大切にしながら、みなさんの目に触れていただけるようにしていきたいなと思っています」
宮中文化は、今も私たちの身近にあります。今では日本中で飾られるひな人形、京都の街で当たり前に出会える職人の技や美術工芸、そして京都の人々のオアシスとして街の中心であり続ける京都御苑。平安貴族が生み出した「雅」は、別世界の昔話ではなく、今の私たちの暮らしと地続きにあるのです。
【次回放送情報】
■京都画報 第6回「御所文化の薫り」
BS11にて3月9日(水)よる8時~放送
京都の地で大きく花開いた雅な文化に触れてみませんか?約1000年の長きにわたって日本の都だった京都。794年の桓武天皇による平安京遷都によって、京都御所を舞台に天皇や貴族による宮中文化が花開き、かな文字をはじめとする日本ならではの文化・芸術が誕生しました。御所の儀式や暮らしの中で使われた調度品や生活道具は、天皇や貴族たちの洗練された感性と京都の町衆の匠の技によって磨かれ、京都の文化を育む礎になりました。3月の京都画報では、今も京都のまちに受け継がれている、華麗なる御所文化の世界へ、俳優の常盤貴子さんがご案内します。
※ 放送後、BS11オンデマンドにて3月13日正午~ 2週間限定で見逃し配信いたします。