ここからしか見えない京都
  
©KBS京都/TOKYO MX/BS11

千利休が生んだ「わび」「さび」の世界を歩く

わび茶の思想を表現した樂焼

2022年は茶道千家流の始祖となった、茶聖・千利休の生誕500年。利休が生んだ「わび」「さび」の精神は、いまもなお多くの日本人の心に根付いています。今回は、常盤貴子さんが利休が追い求めた美の世界をたどります。

今回の案内人、歴史学者の磯田道史さんと向かったのは「樂美術館」。樂家が焼く茶碗は「樂焼」と呼ばれ、450年にわたる伝統を後世に伝えようと、14代目の吉左衞門が開設した私設美術館です。利休に見いだされた初代・長次郎は、利休の「わび」の思想を濃厚に反映した茶碗を作り出しました。以来、樂家は樂焼と利休の美意識を伝え続けています。

色彩豊かで華美な茶碗が主流だったころ、利休と長次郎が試行錯誤して完成させたのが簡素な樂焼だった。当時は最先端のアートだった ©KBS京都/TOKYO MX/BS11

利休ともっともゆかりの深い禅寺・大徳寺。茶の湯と禅の本質が同一を意味する「茶禅一味」の言葉があるように、禅の精神は茶人に大きな影響を与えました。「わび茶の創始者」とされる村田(むらた)珠光(じゅこう)や利休の師・武野紹鷗(たけのじょうおう)、そして利休自身も大徳寺で禅を学び、その精神を茶の湯に取り入れたのです。

利休によって2階部分が造営された大徳寺の「金毛閣」。一説には利休が雪駄履きの自身の木像を安置したことで秀吉の怒りをかい、切腹を命ぜられたといわれる ©KBS京都/TOKYO MX/BS11

大徳寺塔頭で茶聖の心に触れる

大徳寺塔頭の黄梅院(おうばいいん)は、織田信長が父・信秀の菩提を弔う為、豊臣秀吉に命じて建てた寺院。秀吉が創建にかかわったことから、桃山時代の戦国大名や茶人と非常に縁が深いことで知られています。禅宗寺院最古といわれる庫裏(くり)は戦国大名の小早川隆景が、鐘楼の梵鐘は加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰って寄進したもの。利休が作庭したといわれる「(じき)中庭(ちゅうてい)」は苔を一面に配した池泉式枯山水庭園で、秀吉の軍旗「千成瓢箪」をかたどっています。この庭を望む書院「自休(じきゅう)(けん)」には、茶室の初期の姿を残す紹鷗好みの「昨夢(さくむ)(けん)」が組み込まれています。

利休作以外にも、現代に作庭された複数の美しい庭園が鑑賞できる黄梅院。通常は非公開だが、12月11日まで秋の特別公開を実施 ©KBS京都/TOKYO MX/BS11

キリシタン大名・大友宗麟(そうりん)によって建立された大徳寺塔頭、(ずい)峯院(ほういん)。境内には複数の庭園や茶室があるほか、利休自らが建てた国宝の茶室「(たい)(あん)」を写した、「平成待庵」が鑑賞できます。利休好みを忠実に再現した茶室で、「わび」「さび」の世界観に浸ってみてはいかがでしょう(要予約)。

わずか二畳ほどのつつましい瑞峯院の平成待庵。住職から特別に茶を点ててもらった常盤さん ©KBS京都/TOKYO MX/BS11

大徳寺塔頭、聚光院(じゅこういん)(通常非公開)は、利休をはじめとする三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)の菩提寺で、茶道家にとってのいわば聖地。表千家7代の如心斎が寄進した利休好みの茶室「閑隠席」や、利休作と伝わる「百積の庭」などで、利休の美意識をかいま見ることができます。

聚光院の利休の墓に手を合わせる常盤さん。利休の足跡を追うほどに、その感性の豊かさと高い美意識に強く感じ入ったよう。聚光院は2023年3月26日まで特別公開を実施 ©KBS京都/TOKYO MX/BS11

【次回放送情報】
■京都画報 第14回「千利休 生誕500年~茶聖の生み出した美~」
BS11にて11月9日(水)よる8時00分~8時54分放送

※ 放送後、BS11+にて11月13日(日)正午~ 2週間限定で見逃し配信いたします。

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